「ロイヤル小田原樹木葬墓地」のご案内開始
ロイヤル小田原樹木葬墓地は箱根登山線「箱根板橋駅」より徒歩約5分でお越しいただけます。JR小田原駅からもお車で約8分でお越しいただける、アクセスの良い立地にございます。大切なご遺骨を33年間ご供養ができ、生前申込みも可能な宗教自由の樹木葬墓地です。2024年1月よりご案内開始いたしました。
さまざまなニーズにお応えできる「フラワー樹木葬」ご好評いただいております。
すべて安心の同一価格です
納骨方法について
安心の33年間の個別納骨なので、他の方とすぐに一緒になることがございません。ご要望に応じて、個別納骨期間を延長することも可能です(詳細ご相談ください)。1区画に1霊~3霊、1霊~4霊まで納骨ができる2つのパターンがあります。ご遺骨はケースに保護されて筒の中に埋葬されます。
石碑について
花彫刻及び家紋他、オリジナルデザインも可能です。
ロイヤル小田原樹木葬墓地が選ばれる理由
御塔生福寺について
小田原板橋富士山の中腹にあった象鼻山妙福寺と現在地にあった浄水山蓮生寺が大正の初めに合寺して象鼻山御塔生福寺となった。
象鼻山妙福寺は、日蓮聖人が文永六年(一二六九)、甲州遊化富士山埋経の後、箱根路を経て帰倉する際、湯本を過ぎ小田原に入る手前の富士山(小田原市板橋字富士山三六三番地)の象鼻に似た巨石の上に立ち、相模灘の彼方の房州を望み、御両親の菩提を弔われ、石の宝塔を建てられたと伝えらている場所に、五三年後の元亨二年(一三二二)四月、九老僧越中阿闍梨朗慶上人が象鼻山妙福寺を開山、中山法華経寺末となった。
一方、浄水山蓮生寺は蓮生院日周上人が開山、下総国葛飾郡平賀村本土寺の末派となった。開創の年代は、『神奈川県皇国地誌残稿』によると永正二年(一五〇五)、『新編相模風土記』によると慶安二年(一六四九)と、二説ある。開山日周の没年も夫々慶長元年(一五九六)二月二九日と慶安元年(一六四八)二月二九日と異なり定かではない。境内は東西四間五分、南北六間、面積二七坪、明治八年(一八七五)二月三日の火災により焼失したが同年仮堂が再建された。
箱根登山鉄道の開通により敷道が妙福寺境内地と重なった為、蓮生寺へ移転合併し現存の本堂を建立、象鼻山御塔生福寺の開山となった。
御塔生福寺 アクセス・地図
電車
■箱根登山線「箱根板橋駅」より徒歩約5分
■JR「小田原駅」よりお車で約8分(ナビをご使用の場合は小田原市板橋770番地で検索下さい)